HHO
水素ガス発見の歴史(15-19世紀)
目に見えない気体「水素」の歴史は15世紀から始まっています。
15世紀
Philippus Aureolus Paracelsus (フィリパス・アウレオラス・パラケルスス)
鉄と硫酸が反応すると爆発する気体を観察する。
18世紀
Henry Cavendish (ヘンリー・キャベンディッシュ)
その爆発する気体を「可燃性の空気」と称し、燃焼の結果「水」が生じることを確認する。
Antoine Laurent Lavoisier (アントワーヌ・ローラン・ラボアジエ)
その「可燃性の空気」を「水素」と名づける。
hydrogen (水素)はギリシャ語の「水」と「つくるもの」からの合成語です。
1783年
Prof. Jacques Alexander Cesar Charles (ジャック・アレキサンダー・シーザー・チャールズ)
3.9mの気球で、パリ郊外を45分間で24km飛行する。
気球は着陸地点で恐怖に駆られた農民たちにより潰される。
1853年
Michael faraday (マイケル・ファラデー) 英国の物理学者
電気を用いて水から酸素と水素を分離する実験を行い、その過程を電気分解 (electrolysis) と呼ぶ。
水素ガスの利用(飛行船の時代)
20世紀の初頭には、いくつかの技術が統合されて実用的な飛行船が作られました。
軽くて強い馬力のエンジン、軽くて丈夫なアルミニウムの飛行船のフレームなどにより、ドイツのCount Ferdinand Von Zeppelin (カウント・フェルディナンド・ファン・ツェッペリン) は最良の飛行船を作り飛行船の時代が始まります。
残念なことに、飛行船は第一次戦争に用いられ連合軍に多大の損害を与えました。
飛行船の気球は水素と酸素の混合気体で満たされており、
敵軍の弾丸は気球を貫通しましたが、弾丸の貫通は発火温度とならないため気球が爆発することはありませんでした。
飛行船は飛行機が到達できない高度を飛んでいましたので、仮に弾丸が気球を貫通しても、単に穴から気体が抜けて飛行船は徐々に高度を下げながら飛び去るだけで危険は存在しませんでした。
第一次大戦後にドイツは、飛行船による国際的な運輸システムを世界に売り込み、飛行船時代が始まりました。豪華で安全で快適な空の旅を人々は楽しみました。飛行船は静かで快適に時速320kmのスピードで移動することができました。
1937年5月6日
ドイツの飛行船 Hindenburg(ハイデンベルグ号)は米国のニュージャージー州のLakehurst(レークハースト)の近くの中継基地に着陸する際、飛行船の後部が火に包まれ、36人の乗客と22名の乗務員が死亡しました。
この事故は世界を震撼させ、飛行船の時代が終わりました。
この事件で、知られていない事実は、
65名の人々は飛行船の着陸後、着地したゴンドラから逃げ出し命を落とすことはなかったということです。
ハイデンベルグ号は、爆発したのでも墜落したのでもありません。
死者のほとんどは、飛行船が着地する前にゴンドラから飛び降りた人たちでした。
水素が燃えるとほとんど熱を発生しません。その熱量は、hydrocarbon(炭化水素)の1/10の熱量にも至りません。それで、水素の炎の近くにいても火傷することはありません。
水素は、炎が上がるスピードより速く空気中に飛び散りますので、気球に発生した火が爆発を招くことはないでしょう。
もし、適切な救命処置が取られていれば、死者はなく全ての人は助かったでしょう。
ハイデンベルグ号の事故まで、ドイツの飛行船の死亡事故はなく飛行船の安全性は確立されていました。
ハイデンベルグ号の不可思議な事故は、悪意のある破壊工作とみなされています。
当時の政治的な背景を説明します。
米国はヘリウムガス販売のモノポリーをしており、ドイツへの販売を禁止していました。
ヘリウムガスは水素の同位体で不活性ガスで不燃性です。
第二次世界大戦では、連合国側が発煙弾を発明したためドイツは水素を用いた飛行船を使用できなくなりました。発煙弾が水素気球に打ち込まれると発火して水素ガスが爆発するからです。
飛行船の時代は、意図的に終わらされましたが、
米国、ヨーロッパでは飛行船は愛好家たちにより引き続き用いられています。それは安全だからです。
水素は、ロケットの燃料、油、マーガリン、石鹸などの水素添加、化学肥料、ナイロン、ポリウレタンの合成、ガラス製品、その他多くの製品にも使われています。
水素をあらゆる動力に適切に活用すると、スモッグ、酸性雨、都市部の温度上昇などの公害は止むでしょう。
水で車が走り、水で電気をつくり、水で病気を治すことなど可能となりますが、石油利権が公共の益の障害となっています。
当初ドイツの飛行船の動力は巨大なディーゼルエンジンでした。
燃料の軽油を消費し機体が軽くなると飛行船は上昇しました。それで気球の水素を抜き機体の上昇を抑えていました。
技術者たちは、無駄に水素を捨てるのではなく、その利用方法を考え、水素をエンジンの燃焼で消費することを思いつきました。それでディーゼルエンジンに水素を送り込んだところ、25%燃費が良くなりました。
ドイツの技術者たちは、その技術を地上の車に応用し、車のダイナモで水を電気分解して得た水素をエンジンに送り込みました。結果は燃料(ガソリン、軽油)の燃焼効率は100%近くとなり、ほぼ完全燃焼を実現し、排気ガスもなく出力も格段アップして効率、燃費が顕著に良くなりました。
それ以来、多くの技術者たちが水素の活用について研究し、個人をエネルギー支配から解放する極めて魅力的な発明を残していますが、
残念で情けない現実は、石油利権(資本家の保身)のせいで、その全ては公に活用されていません。
ユル・ブラウン (Yull Brown)
第二次世界大戦の直前、ブルガリアの神学校生Ilya Velbov(イラ・ベルボ)は、聖書や科学推理小説などから「水を燃やす」アイディアのとりことなりました。
彼は電気技術者となり、第二次世界大戦後、1957年に共産圏からオーストラリアへ移民となり、名前をYull Brown(ユル・ブラウン)と変え、電気技師として働きました。
ブラウンが車を水で走らせたというニュースはオーストラリア全土に瞬く間に伝わり、テレビの取材を受け、ブラウンのガスは一躍有名になります。
ブラウン・ガスはほとんど色のない炎で燃えます。
その炎は比較的温度が低く、トーチの炎に手をかざしたり、サーッと横切ることすらできます。
しかし、その炎は煉瓦に穴をあけることができ、また太陽の表面温度と言われている6000℃で溶解するタングステンを溶かすことができます。
ブラウンガスの炎は対象物により温度を変えることができます。
ブラウンガスを使えば異質の金属や石などを融合することもできます。
水素原子(H)は常温核融合を可能にする物質です。
ブラウンガス(HHOガス)は、水の電気分解によりその場で作れ、さまざまな分野で活用できます。
ブラウンガスと他のガス(水素、炭素、アセチレン、その他)との顕著な違いは、ガス自体の燃焼温度は極めて低く、爆発(膨張)ではなく爆縮(収縮)して水になります。
オープンエアーでのブラウンガス(HHOガス)の炎の温度は129-137℃くらです。
通常の水素/酸素ガス(H2/O2ガス)の場合、その炎の温度は2800℃くらいです。
しかし、HHOガスの炎を煉瓦や石に当てると、煉瓦や石の温度は3100℃となり溶解します。
水素原子(H)が常温核融合を媒介しています。
単体原子 (mon-atomic form) の水素「H」がカギを握っています。
通常の2原子の (diatomic form) の水素「H2」とは作用が極めて異なります。
水を電気分解すると、通常の2原子のダイアトミック水素「H2」とダイアトミック酸素「O2」を発生し、水は高温になります。
水の電気分解を適切に制御するとモノアトミック水素と酸素(HHO)を発生させることができます。その際、水は高温にはなりません。
発生したHHOガスは爆縮しますので、HHOガスを容器にためて火をつけると爆縮して容器はペシャンコに収縮しガスは水になります。
ユル・ブラウンは、車のダイナモからの電流で水を電気分解しHHOガスを発生させHHOガスだけでエンジンを駆動させシドニー周辺を走行しています。
エンジンで燃焼したHHOガスは水蒸気だけを排気パイプから出し、一切の有害物質の排気はありません。ブラウンは排気された蒸気を冷やして水にして飲んで見せています。
実験で用いられた車は、V8エンジンのフォード車 (Ford Prefect) で、電気分解装置のために2台のバッテリーを搭載していました。
自動車整備所での1000時間の試験運転とシドニー近辺での走行試験を行っています。
3.8Lの水で1,600k走行ができると述べています。
鹿児島から北海道まで日本縦断できる距離です。
発明家の仕事は、理論的な解説ではなく、実利を実現することです。
皮肉な現実は、実利があるのに既存の学術体系で解説不能な発明は公に研究されませんし、既得利権の脅威となるため無視、抑圧され公にされません。つまり闇へ葬られる(潰される)わけです。
ユル・ブラウンは、発砲をともなう脅しを受け公の場から姿を消し、彼の発明の詳細は明らかにされてはいません。
やがて、ユル・ブラウンはアメリカに渡り、ブラウンガス技術は中国企業に売られ中国でブラウンガストーチが生産されるようになります。
その後、ブラウンガスの技術はアメリカの発明家のデニス・リー (Dennis Lee) により中国企業から買い戻されています。
それでも、入手可能な情報により、また各自の研究、実験により、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの幾人かの発明家たちはブラウンの作ったガス(HHOガス)の技術を理解し実用的な製品を開発しています。
イーグル・リサーチ (eagle research) のジョージ・ワイズマン (George Wiseman) は、1990年ごろから20余年にわたりブラウンガスについて研究し結果を公表し、効率的で入手しやすい値段のガス発生装置を作っています。
イーグル・リサーチのブラウンガス発生装置は、車に搭載して燃費を飛躍的によくし、有害排気ガスをなくしたりできますし、またブラウンガス(HHOガスを)溶かした水を飲んだり吸入したりして健康に役立てたり、常温核融合ガストーチにして異金属の融合に用いたり、放射能を除去したり、その他さまざまな可能性を持っています。
しかも、この技術は個人が家庭で活用できるもので、工場や発電所のような大規模なエネルギー供給施設を必要としません。
エンジンは水で動き、電気は空間から得られ、高額な装置なしに常温核融合は簡単につくれ、お金をかけなくても危険な放射能を簡単に無くすことができますし、また体内水素不足のために生じる生体エネルギー低下の改善に活用できます。
技術は存在しますが、電気、石油、製薬利権による支配の保身のために公に活用はされていません。
善意の発明家たちは、研究の成果を隠すことなく惜しみなく公表していますので個人で勉強し活用できます。